掌中の珠2011/11/05 18:12

「掌中の珠」

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温かいお蕎麦が美味しい季節になりました。

山菜蕎麦

蕎麦定食

軽井沢から東京に戻ったばかりのうちは、食器や食材の衛生ならびに食卓など総てを整えるまでにかなり時間が掛かりますので、取りあえず、お弁当もしくは外食に任せるより他にありません。

長野新幹線車中

腸の病が増悪した妻のベラにとって、この季節は、温かい食事が欠かせません。お蕎麦屋さんに入り、妻は、温かいトロロ蕎麦を、私は、温かい掛け蕎麦に単品で野菜天ぷらを注文しました。すると、温かい天つゆと大根おろしも2人分運ばれて来ました。

トロロ蕎麦

天ぷら

妻に、野菜天ぷらから選んでもらったかぼちゃを分けて、妻からは、私の蕎麦にたっぷりのトロロをかけてもらいました。このような行為は、夫婦や家族でなければ、なかなかできるものではないでしょう。互いに相手を慮って、自然に食事をし、それが日々の生活となっているのです。

ところで、何でも仕事(ビジネス)に結び付け「まだまだ稼げる」「もっと外へ」と、休むことを恐れて狂奔し続けている、『躁病』とも思えるお方がいらっしゃいます

そのお方は、最愛の前夫と「一緒に年を取りたかった」と未練がましく告白されているようですが、今なお同じ誤謬を繰り返されているようです。自分やお金以上に大切な、たったひとりの他人、つまり、人生において、迷いなく自分の時間と愛情をふんだんに注ぐことのできる「掌中の珠」を見つけられずにさまよう人は、誰よりも淋しく感じられます。他人に見せたいがために、哀れにも、自己満足の幸せ芝居をブログに毎日描き続ける行為は、徒花に終わることでしょう。

人生は、自然に、楽しく過ごすことが一番です。そのためにも、夫婦はいつも一緒にいることが大切です。「結婚」した以上、ともに食し、ともに休むことは大前提であり、言うまでもないことです。そして、生きること、つまり生活は、決して仕事、つまり、お金儲けを中心として存在するものではありません。また、生活の本拠である家庭も、仕事から解放された、寛ぎと癒しの場所であってほしいというのが男の本音であると私は考えます。

家庭での仕事は、意外に体力を消耗する重労働です。昨年秋から、体力のない妻のベラに代わって、私が主に夕食の調理を担当する毎日を続けておりますが、手間はまったく厭(いと)いません。

それは、妻は私の「掌中の珠」であり、他人任せには出来ないからです。

お金で他人を雇い、誰かに世話をしてもらうということでは夫婦とは言えず、愛情溢れる生活など画餅に過ぎません。

「人」という文字は、2画と少ない画数ながらも、ひとりひとりが互いにしっかりと支えあって成り立つことを示しているのではないでしょうか。一緒に年を取ることは、まさに「掌中の珠」と共に生きる喜びに満ちていることです。

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