池澤春菜氏は、なぜ、オスカープロモーションを退社した?!2014/03/16 01:16

池澤春菜氏は、なぜ、オスカープロモーションを退社した?!

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 映画 プリキュアオールスターズ New Stage3 永遠のともだち」が、昨日2014315日(土)に公開された。

 

キャストとして、声優の野沢雅子さんと、女優の剛力彩芽さんが特別出演しているが、ゲスト出演者として、辻美優さんほか3名が出演している(写真)。

 

 だが、ゲスト出演者は、いずれも声優ではない。

 

 この4名は、2014126日に行われた「全日本美声女コンテスト」本選大会でグランプリを獲得した東京都出身の17歳(高校2年生)辻美優さん、準グランプリの東京都出身の15歳、高橋美衣さんと東京都出身の17歳、花房里枝さん、であり、インターネットによる一般人気投票で選ばれたマルチメディア賞受賞の山形県出身の21歳、吉村那奈美さんだ写真1写真2

 

 この「全日本美声女コンテスト」は、剛力彩芽さんをはじめ、米倉涼子さん、上戸彩さん、菊川怜さん、武井咲さんなど多くの美人女優やモデル、タレントを輩出している「オスカープロモーション」と、多くの有名声優が所属する「青二プロダクション」が、「女優の輝きと声優の魅力を併せ持つニュータイプのヒロイン」を発掘するため、新たに発足したという。

 

 そして、そのコンテストの募集要項は、応募期間: 201381()20131021()消印有効、応募資格: 1530歳までの美声と美貌を兼ね備えた新たなスターを目指す美声女と、なっていた(写真1写真2写真3)。

 

 オスカープロモーションが、新たなスターとして、女優と声優を併せ持つヒロインを発掘する、となれば、オスカープロモーションに所属していた声優であり女優を自認する池澤春菜氏にとって、声優を打ち出している池澤春菜氏の存在を、十分承知した上で、池澤春菜氏を差し置いたまま、事務所をあげて「美声女」との逸材を新たに探し出され、やがて出現することとなる。

 さすれば、「全日本美声女コンテスト」プロジェクトの発足を知ったその日から、表向きはどうあれ、池澤春菜氏は、心中穏やかではいられなかったのではないか?と、察する。

 

 しかも、応募資格の年齢制限は「30歳まで」と一般公開されており、お得意の根回しも、武器であるコネも効かないから、たとえ池澤春菜氏が奇を(てら)って応募しようとしたとしても、年齢制限にひっかかる仕組となっており、応募も出来ない。

 

 さらに、コンテストの「特別審査員」には、20121121日に、同じオスカープロモーション所属であったにもかかわらず池澤春菜氏が批判したことから、ツイッター謹慎処分を受けた相手方であり、2013114日から325日まで、フジテレビ系列で月曜日21:00 - 21:54(月9)に放送されたテレビドラマの『ビブリア古書堂の事件手帖』に主演していた女優の剛力彩芽さんが、菊川怜さんとともに含まれていた。

 

 

 池澤春菜氏が、ツイッターで、剛力彩芽さんを批判してから、謹慎処分に至るツイートは以下のとおり。

 

①ビブリア古書堂のドラマ化のニュースを知る。
栞子さんは……違うよね……
いや、同じ事務所だけどさ……
栞子さんは、もっとこう……
しょぼんω・`)

 

②(アニメ化の折には、

当方、栞子さんの声のご用意があります(`・ω´) 

皆様のイメージを損なわないと思います(`・ω´)

 

③怒られちゃった……

 

Twitter、しばらく沈黙しまぁす。皆様のつぶやきは拝見しているので、

楽しいこと、素敵なことあったら教えてねヽ( ´ ` )

お知らせごととかは、ブログをチェックしていただければ、と思います。

では。

 

 声優でありながら、池澤春菜氏が審査員として参加させられず、逆に、声優ではないにもかかわらず、池澤春菜氏が批判した同じオスカープロモーション所属の剛力彩芽さんが、女優の輝きと声優の魅力を併せ持つニュータイプのヒロイン「美声女」を発掘するための「全日本美声女コンテスト」に、特別審査員として選出された事実を、現実に突きつけられたならば、同じオスカープロモーションに所属していた池澤春菜氏にとって、針のむしろだったのでは?とも、察する。

 

 オスカープロモーションも利益を追求する企業である以上、所属声優である池澤春菜氏に対して、何がしかの通告をしてきたと思われるが、それらを悉く池澤春菜氏が拒否し続けた結果、池澤春菜氏の居場所を奪うための究極のリストラを突きつけたのではないか?と、推測される。

 

 ところが、池澤春菜氏は、2013127日のブログ記事で、「耳鼻科に行って聴力検査をしてもらったら、『低音障害型感音難聴』」として、あの、佐村河内氏と同じ感音難聴であったことを公開した(写真)。

 

 感音難聴が一時的なものであったにせよ、声優の生命線である聴力に難ありとの牽強付会な理由をもって、声優としての仕事が自分に回って来なかったことや、特別審査員の座を後輩に譲ったとも受け取れるような内容の記事を自ら公開して、所属事務所を去る前に、最後の反抗を表明したのでは?とも、受け取れる。

 

 

 実父が池澤夏樹氏、実祖父が福永武彦氏であることを全面に打ち出して活動せざるを得なくなった、「努力」の二文字が欠如した、アラフォー声優に、手を差し伸べる者は誰か?

 

答えは1つである。

 

しかし、ウィキペデイアによれば、池澤夏樹氏は、194577日に、福永武彦氏と原條あき子との間に誕生したが、1950、つまり夏樹氏が5歳の年に両親が協議離婚し、その後、夏樹氏を引き取った母が池澤喬氏と再婚したので、池澤姓を名乗った。

 

一方の、福永武彦氏は、離婚の3年後に、岩松貞子氏と再婚した。したがって、池澤春菜氏は、血縁上は、福永武彦氏は実の祖父であろうが、面識もなく、福永武彦氏は、実の息子である池澤夏樹氏との縁自体薄いものであった。

 

タイへの留学後、軽い鬱病になり、祖父からリハビリ代わりに芝居の勉強をしてはどうかと友人だった81プロデュースの南沢社長に預けられたのがきっかけ」とされている(写真)。

 

リハビリ代わりに芝居の勉強ができるとは到底思えないが、池澤春菜氏が、その程度の気持ちで、芝居の稽古に臨んでいたとすれば、女優の仕事が回って来なくて当然であると思った次第である。

 

軽い鬱病であったとの池澤春菜氏を、リハビリ代わりに芝居の勉強をしてはどうかとのことで、声優事務所に入れてくれたのは、池澤夏樹氏の育ての父親であった池澤喬氏による人脈の賜物であったとすれば、当時のご恩を忘れず、福永武彦氏の孫である事実や、平成5年から沖縄に移住し池澤春菜氏らの元を去り、6年後の平成11年に離婚に至った池澤夏樹氏の長女であることを喧伝して、新たな仕事にありつこうとすることなく、面識のあった祖父である池澤喬氏に感謝し、夢々、疎かにすることなどあってはならないであろう。



声優・池澤春菜氏の「日本SF作家クラブ」入会は秩序破壊?!2014/03/23 16:45

声優・池澤春菜氏の「日本SF作家クラブ」入会は秩序破壊?!

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日本SF作家クラブ」第16代会長であった瀬名秀明氏は、平成23年10月から2年間の任期を全うせず平成25年3月1日の総会において会長職を中途辞任し、同時に「日本SF作家クラブ」をも退会した。

 

この平成25年3月1日の総会で、いったい何事が起こったのか。

 

瀬名氏は、平成25年12月30日のブログ記事写真)においてこう述べている。

 

 「2012年(平成24年)の3月、すなわち大森さんの入会推薦がだめになった前後に『きみに読む物語』というSF短編を書いている。この時すでに私は会長を辞任し、クラブを退会することを決意していた。あとは時期の問題だけだった。

 
昨日のエントリーで、日本SF作家クラブにはふしぎな『不文律』があり、入会に際して一冊以上の単著があること』もそのひとつだと述べた。しかしよく調べれば、この『不文律』に当て嵌まらないのに入会している方々を見つけることもできるだろうイラストレーターや声優さんなどはどのように判断すればよいのだろうか
 
なんのことはない、日本SF作家クラブはこうしたとき『親睦団体』という大義名分を掲げ、自分たちの好きな人は入れ、そうでない人は弾く。『会則』や『不文律』は、そうしたときクラブにとって都合のいいように利用される、その場限りのいいわけに過ぎない。嫌いな人を弾くときには『会則』や『不文律』を持ち出し、好きな人を入れるときにはそれらを無視するだけのことだ。規則よりも『その場でみんながなかよくすること』という刹那性の方が重視されるに過ぎないのである。

 

前提条件となる不文律写真)とは下記のとおりである。

「ただしふしぎな『不文律』がある。プロとして一冊以上の単独著書があることが前提条件だというものだが、誰がいい出したのか定かではない。」

 

 

とすれば、瀬名氏が、会長職辞任のタイミングを、「日本SF作家クラブ」の創立50周年記念の年である平成25年の3月1日、すなわち、プロでもなく、一冊の著書(単著)もない「声優さん」の池澤春菜氏が入会を認められた日に決定したことは興味深い。

 

たとえ、すでに辞任を決意していたにしても、入会に際してプロとして一冊以上の単著があること』との『不文律』を破ってまで、声優・池澤春菜氏の入会が受理されたことに対して、瀬名氏が快く思っていなかったことは、誰であれ察するところだろう。

 

それは、瀬名氏が、「日本SF作家クラブ」はこうしたとき『親睦団体』という大義名分を掲げ、自分たちの好きな人は入れ、そうでない人は弾く、という批判を表明しているからだ。さらに、この総会では、1980年(昭和55年)に「日本SF作家クラブ」により創設された賞である日本SF大賞を創設から第33回(2012年)まで後援していた徳間書店が降板したことを発表した。

 

2013年で創立50周年を迎えた「日本SF作家クラブ」といえば、昔は由緒あるクラブだったようだ。

第4代会長・筒井康隆氏が、「もうあれから五十年になるんだなあ。SF作家クラブに入れてほしかったんだが、なかなか入れてもらえず、最初、会合に出た時はゲスト扱いだった。」と語っているように、過去の入会においては、高いハードルがあったようだ。

 

第5代会長・豊田有恒氏は、「日本SFの発祥の原点は、今から五十年以上も前、早川書房、東宝映画の共催による日本SFコンテストである。第一回、第二回と続いたコンテストで、多くの作家、いわゆる第一世代の日本SF作家が誕生した。(略)この二回のコンテストで、小松左京、光瀬龍、筒井康隆、眉村卓、半村良、平井和正(敬称略)など、いわゆる第一世代のSF作家が、そろってデビューしたことになる。御大星新一さんだけは、それ以前に、江戸川乱歩さんに認められて、デビューを果たしていた。星さんが、ひとまわり上の寅年で、同じ年の生まれに、松本零士、石ノ森章太郎、平井和正などがいる。また、昭和一桁の最後の九年生まれが、筒井康隆、眉村卓である。」と語っていたように、そうそうたるメンバーが揃っている。

 

第9代会長・永井豪氏は、「マンガ家である私が、『日本SF作家クラブ』に軌跡を刻めたことは、まさに奇跡だと思っている。35年前ほど前、故・小松左京さん、筒井康隆さんの推薦により、入会を認めてもらった。マンガ家としては、あの手塚治虫先生に継いで、二人目という栄誉、ファンである作家の方々との親しい交流。」と謙虚である。

 

池澤春菜氏が、2013年に入会してから、慌てて2014年に単著を1冊出版したところで、後出しジャンケンに過ぎず、「秩序破壊者」と言われても仕方がないであろう。

なぜ、単著を1冊出版した後で、正式に、入会の推薦を受けなかったのか、なぜ、今年まで待つことが出来なかったのか、甚だ疑問である。早速、創立50周年のイベント写真1写真2)に参加するためであったのだろうか。

 

池澤春菜氏が、プロの作家さんでも、プロの漫画家さんでもないことは周知の事実であるうえに、一冊の単著すらなかった。

にもかかわらず、「日本SF作家クラブ」の暗黙の規定であり、大前提であった『不文律』を破ってまで、「コネ」をゴリ押しし、「特別扱い」で、堂々と入会したのである。


瀬名氏は、平成25年12月28日のブログ記事写真)においてこう述べている。

 

「私の会長時代にクラブが50周年を迎えることを知り、メンバーひとりひとりに50周年で何をやりたいか訊いていった。みな大きな夢を語り、それは実に楽しい会となった。私が後に日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクトの実行委員長も兼ねて、このプロジェクトで必ず2013年に日本SF&ファンタジーを盛り上げようと誓ったのは、この夜の楽しさがいつまでも心に残っていたからに他ならない。(ただし逆にいえば、それまで前会長と事務局は50周年に向けてほとんど何も準備をしていなかったということでもある。)」

 

穿った見方かもしれないが、この記事を読んで、「日本SF作家クラブ」は、瀬名氏に50周年記念プロジェクトの実行委員長として様々な面倒を掛けておきながら、結果として、プロジェクト実施の段になって瀬名氏は、実行委員長を次期会長東野司氏に禅譲したのであるから、さんざん準備をさせられただけで参加もせずに去った瀬名氏が気の毒だと思うのは私だけであろうか。

同席したくない、一緒にされたくないと感じる誰かが存在したのではないだろうか。

瀬名氏の会長辞任を早め退会までさせたのは誰のせいだったのか。

 

かつて「日本SF作家クラブ」が主催していた「日本SF新人賞」(1999年〜2009年)、「日本SF評論賞」(2006年〜)の2賞を休止した事実に象徴されるとおり、日本SF界は斜陽のようだ。

 

声優・池澤春菜氏は、日本SF界に喝を入れる存在となれるのか。

 

資格がないにもかかわらず入れてもらったとすれば、声優・池澤春菜氏は、ご恩返しとして、「日本SF作家クラブ」に貢献し、日本SF界の発展のために邁進するのが人の道であり、であろう。